留学・音ゲー・研究備忘録

heine98の音ゲー・研究・留学の記録。Juliaとかlatexとか使います。

2022年とは

暇なので、今のうちに今年の振り返りでもするか。

まず、年初とか死にそうな感じだった。
就活プロセスの真っ只中、論文はクソだし面接は全然呼ばれないし、アメリカで年明けを迎えるしで結構きつかった。

この分野は年始にアメリカで大きな学会があるのだが、それが就活の第一面接の場としても機能しており、そこで1人30分くらいで次々と行われるのがコロナ前の習わしだった。
コロナになって以降はオンラインが主たる場になっており、特にアメリカ以外の大学などはわざわざ現地にも来なくなったので対面ということはない。

アメリカで就職できないビザの理由があったため、ハナからアメリカ以外の求人にしか応募していなかったのだが、そのせいで朝4時に面接とかもあり、これならニホン帰ったほうが良かったのでは?とまで思ってしまった。

まあ結局、確か1回目の面接にはAEA前に10ヶ所未満しか呼ばれず、それもかなり焦る要因でもあった。

幸いにして、日本の研究機関等は面接が遅かったため、蓋を開けてみれば日本の応募先では順調に行ったのだが。

まず日本でポスドク見つけられて、帰国できそうだとなったところで一安心。
そしてそこから本命となる場所も最終面接まで呼ばれて。。。となったところで問題も発生した。なんと、すでに先に内定が出ていることが判明したのだ。

 

それが、自分の指導教員の元学生Rさんの共著者で、外国人っぽい名前だったので耳を疑ったのだが、日本にルーツのある人だった。

その時は面接の手応えもあったのでかなり落ち込んだが、今思い返してみれば、その内定が僕の最終面接より前に出ていたことを踏まえれば別枠だったのだろう。

 

そうこうしているうちに、飲酒から21時には寝る生活を続けていたある日、内定をもらうことができた。あの頃はGmailを開くのもしんどかっった日々が続いていたので、久しぶりに良いメールだった。

 

最終的には日本3ヶ所、欧州ポスドク最終面談というあたりで指導教員のVのお気持ちを完全に無視して、日本ポスドク→2023年から研究機関という形で終わらせることができた。

 

その後はD論を最低限のラインでこなし、学位授与式を待たずに日本へ帰国。多少の無職を経て、現職で夏から働き始めた。

現職の研究環境は言ってしまえば最悪で、早いうちにそこで研究活動をすることを諦め、自宅にいる間に作業を行うようになった。

幸いリモートワークOKだったため、なんとか時間をやりくりして最低限必要な作業をシている。

最初は普通にスーツ着て働くなんて新鮮だな〜なんて思っていたが、要は半分お客さんなので誰かとのコミュニケーションの機会がほぼ発生せず、それもあって完全に早く終わらんかなモードに。

ただしボナは無に等しいが、給料は相対的には悪くなかったのと、この間は実家にいることにしたのでかなり経済的に余裕ができた。まあ卒業前の無給期間の尻拭いやら、引越し費用の工面やら、毎週飲み歩いたり競馬したりですごく余裕があるわけでもないけど。

 

働き始めてからは無過ぎて特に覚えてない。

ああ、そういえばいろんな人(主にオンラインの)と会って酒を飲むことができたりして、在米中にTwitterを通して羨ましかったことが体験できた。

 

また、本当に発表できるレベルかと言われると困るのだが、縁があって数カ所で研究発表の機会をいただくことができた。特に日本の母校で、元指導教員を前に発表できたのは、プレゼンの出来が無茶苦茶だったのとは別にちょっと感慨深いものがあった。もう呼ばれないだろうが。

 

あとは結婚相談所に勢いで入会したものの、あまりうまく行かず実質休会状態みたいな感じにもなっている。最初の1、2ヶ月で3人(この前間違えてた)しか面談はいらなかったのと、マッチングアプリを見ていると相談所のプロフィール写真のクオリティ(ないし参加者のクオリティ)にちょっと絶望する。なお自分のことは棚に上げた話である。

 

さて、来年はとうとう関東を離れ、新天地での生活が始まることになる。

残念ながら祖父母にはこの結果を生前に伝えることができなかったが、表面上だけ見れば十分に喜んでくれることだっただろう。

 

相変わらず4月から何をするかあまり考えておらず、そろそろ困っているのだが、とにかく勢いでなんとかしたい、できてくれ。。。

 

最後に、2023年の目標は、

・競馬で回収率90%超える

・タバコやめる(期待値20%)

・お金のやりくり正常化

・お酒の失敗を減らす

・研究業績を最低限こなす

みたいなところでしょう。

 

早く楽になりたい。それでは。