留学・音ゲー・研究備忘録

heine98の音ゲー・研究・留学の記録。Juliaとかlatexとか使います。

コロナワクチン3回目と就活

ブースター接種、1月19日くらいに受けた。今回はもうアメリカに戻っていたので、大学の接種会場で。

大学から1月末までに受けろとのお達しを受け取っていた一方、8月接種から6ヶ月しか経っておらずどうしたもんかと思っていたのだが、アメリカでは5ヶ月後から可と短縮されていたので学外で受ける面倒臭さを鑑みて突撃。

日本の書類を大学用の接種記録に写してもらいつつ、交互接種でファイザーをプスリ。 1、2回目はモデルナだったのだが、今回大学にはファイザーしかなかった。事前に知っていたので意思確認時に問題ないことを伝えてある。

日本で受けてきたときのことや、大学の接種が4日しかなかったことから滅茶苦茶混んでると思っていたのだが、あまり人がいなかった。 アメリカではオミクロン全盛期で学期始まりのこの頃は様子見でオンライン授業だったため、もしかしたら学部生が戻っていなかったのかもしれない。

接種してくれたのは中国系っぽいおばちゃんで、おしゃべりだった。こちらも緊張を紛らわせつつ無愛想にならないように話を合わせる。毎回思うがアメリカ人のおしゃべり具合には辟易する。

接種後は15分ほど待機するように言われ、用意された席で待機。時間を知らせてはくれないので、時計を見て15分経ったら再度IDをチェックしてもらい帰宅した。

一応解熱剤(イブプロフェン)を帰り道に買っていったのだが、あってよかった。 モデルナ2回目よりはマシだったものの、微熱と頭痛が1日続いた。また、前回は接種した腕が上げづらかったり接種部位を下にして寝ると痛いというのがあったが、今回はそれが無い代わりに脇の下あたりが常に痛かった。いわゆるリンパ節腫脹だろうか。 解熱剤飲んでゆっくりしていたら接種後2日目にはまだ違和感はあるものの、ほぼ全快していた。でも接種翌日は基本的に使い物にならないと思ったほうがいいのかな。

しかしながらこれからも2周間に1度、唾液PCR検査(無料)が義務なのは継続される。うちの研究科から微妙に遠いので、わざわざ底まで行くのが面倒くさいったらありゃしないのだが。

でも今回の接種時期は就活の真っ只中で、オンライン面接の隙間を縫うように接種したが、幸い纏まった時間が取れてよかった。

今後は、大学の提供する接種証明が日本帰国時に3回接種の証明として使えるのかが問題である。 外務省HPなどを見る限りでは、政府等の公的機関としか書かれていない。大学を公的機関とみなすことはできそうな気がするが、他方で、名刺より一回り大きいカードでしかないので本当に機能するのだろうかという。。。 と思って今、写真を見返してみたらCDC(疾病対策センター)のマークが入っていた。おそらく問題ないだろう。

なぜ今更これを書いているかというと、今日も就活面接があり朝からプレゼン練習しているが、これまでも何度かしてきたので流石に飽きてしまったのである。 基本的にフ○ブライトのせいで卒業後にアメリカで就職するのが事実上不可能なこともあり、アメリカ以外の国のジョブマーケットに出しまくった。 12月の欧州ジョブマーケットと年始のアメリカジョブマーケット(こちらには世界各国から公募?が集まる)で一斉に始まるので、11月辺りからコツコツとやる気のない書類を作っては出しまくり、ジョブマーケット開始とともにオンライン面接の日々。 でも欧州やカナダ、オーストラリアの大学に応募しても、あまりいい返事はなかったのが実際のところだ。自分のジョブマーケットペーパー(研究)がカスなことは自覚しているのだが、プラスアルファで英語力の無さなんかもあるし、あとは全然関係ない国に応募しても本当に来てくれるのか向こうが疑うというのもある。

こちらとしても6年(実質4年くらいだが)のアメリカ生活で疲れ果ててしまい、絶対に日本に戻りたいと思っていたので、書類を100通くらい送ったものの、かなり投げやりだったことも否定できない。 結果的には日本で有期雇用研究員のポストの内定を頂けたのだが、やはり本当にほしいのはテニュアトラックポジションである。 まあ結局最初5年間で研究業績を積み上げないと5年後にはまた公募に応募するか路頭に迷うのであるが。。。

関係ないが、これらのオンライン面接では基本的にアメリカ国外だったので、面接が早朝や夜に集中してしまった。 時差のことを考えたら日本に戻っていたほうがむしろ時間は合わせやすかったのではないかと思うくらいにはめちゃくちゃで、最悪なときは朝4時とかから30分面接させられるとか。 まあでも毎年年末年始は日本に帰っていたので、おそらく人生で初めて実家に帰らずに年を越した初めての経験だったような気がする。